戦国時代、荒井の地に 館を構えていた古内主膳正。 その娘・梅子は、病弱のため、 12歳で亡くなったと伝えられている。 彼女の名残は「梅後(うめご)」の地名や、 観音堂、石碑といった形で 今も地域に息づいている。
荒井の「古内」という地名は、天正年間(1574頃)、古内主膳正が館を構えたことに由来されるとされる。
主膳正は伊達政宗の命により、移館する際、病弱であった梅子を荒井の館に留め置いた。梅子は12才で亡くなり、その冥福を祈って館の北方に石祠が建てられ、「十二御前様」として供養された
古内館は、堀跡や土手、鳥居などがあったと伝えられるが、大正期には土手や堀が畑となり、現代はその面影をほとんど残していない。