大野九郎兵衛 – 福島市に関連する人物・偉人

大野九郎兵衛(おおのくろべえ)

歌川国貞画 - 大野九郎兵衛(市川団十郎)

歌川国貞画 – 大野九郎兵衛(市川団十郎)

 ジャンル:人物・偉人
生きた時代:江戸
関連地域:福島市李平
題材公演:辛かろう、夜逃げ家老

概要

大野九郎兵衛知房(おおのくろべえともふさ)は江戸時代前期の武士。
赤穂藩浅野家末席家老。生没年不詳。

人々からは不忠者とされ、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」では悪役の「斧九太夫」として描かれている。

一方で、赤穂の塩田開発などで藩の財政の立て直しを行った優秀な官僚であったとされる。

 

松の廊下事件後の大野

浅野内匠頭の吉良上野介への刀傷事件後、赤穂藩は断絶。
大野は幕府に赤穂城を開城し、その後お家復興を目指すことを主張し、
籠城し徹底抗戦を主張する大石内蔵助らと対立した。
大野はその後も藩の中で孤立を深めたとされ、4月12日の夜、
孫娘などを置いたまま家財道具一式を置き、船で夜逃げした。

 

忠臣蔵第二陣としての伝承

討ち入り前に藩を逃げ出したことなどから
不忠者とされる大野だが、福島市や山形県米沢市には、
「忠臣蔵第二陣」として当時福島と米沢を結ぶ板谷街道にあった
宿場町の李平(すももだいら)に潜伏したという伝承が残る。

討ち入り時、吉良上野介の息子は米沢藩藩主の上杉綱憲や、
吉良の妻の富子(梅嶺院)が米沢にいた。
伝承では討ち入りが万が一失敗した場合に、
縁ある米沢に逃げ込むであろう吉良を、
道中となる板谷街道にて討つ手はずとなっていたという。

大野は、吉良上野介の暗殺が成功すると知るや、切腹をしたとされる。

なお、亡くなった時期や場所は不明であり、
京都の仁和寺の周辺に住んでいたという説や、
吉良の実家である上州礒部に住んでいたという説などあり、
それぞれの場所に墓石がある。

 

120○EN作品では?

yonige-omote第16回公演「辛かろう、夜逃げ家老」の主人公。

主君や藩をなんとも思わない、「不忠者」として描かれる。

赤穂藩第二陣として李平に潜伏。福島藩士の作五郎の家に潜んでいた。しかし、刀は錆び、大石内蔵助から託された金で酒を呑んだくれ、第二陣とは名ばかりであった。

彼が忠臣蔵討ち入りの成功を祝い、作五郎と酒宴を行うところから物語は始まる。

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