佐藤太郎右衛門 – 福島市に関連する人物・偉人

By | 2017年6月26日

佐藤太郎右衛門

さとうたろううえもん

義民佐藤太郎右衛門 霊堂

義民佐藤太郎右衛門 霊堂

 ジャンル:人物・偉人
 生きた時代:江戸
 関連地域:福島市佐原
 題材公演:思わざらまし六つの花

概要

 陸奥国信夫郡佐原村の百姓代。

 享保14年、川俣・大森代官を兼務した岡田庄太夫は、年貢の取り立ての仕方を、その年の収穫量を見て年貢を決める『検見法』から、享保の改革で導入された『定免法』に変更。農民たちは、豊作、凶作にかかわらず毎年一定の年貢を納めることになった。
この年は長雨の影響で凶作。凶作の際は、定免法でも減免されることが多かったが、岡田は年貢の利率を引き上げ、農民たちは困窮した。
太郎右衛門は、村を救う為、大森代官所に年貢減免を訴えるが聞き入れられなかった。福島藩への越訴も聞き入れられず、死を覚悟の上で江戸の将軍への直訴を決意。

江戸に潜伏して目安箱に直訴状を投入したが、捕らえられ、享保15年1月21日、佐原荒田口(あづま総合運動公園付近)で処刑された。

太郎右衛門が命を賭して書いた直訴状は、村人たちによって密かに書き残され、現代に伝わっている。

辞世の句は、

人のため登る我が身のうれしさに
思ひ志れかし信夫人々
人のため死する我が身の命かな
うらみとさらに思わざらまし

 

義民太郎右衛門の屋敷跡
戦国時代の末、自徳寺(現在慈徳寺)海上庵の長男佐藤越後(田中内に住み名主となる)の娘婿但馬の代から、井の内に住み、但馬―四郎兵衛―初代太郎右衛門(名主)―二代太郎右衛門(名主)―三代太郎右衛門(義民太郎右衛門)と続いた屋敷跡である。
昭和四十七年にここから掘り出された右柱の基部三本が、現在義民道内に保存されている。

義民の供養碑 明治四十四年建立
建功院義岳良勇居士

義民終焉の地

当地佐原の義民佐藤太郎右衛門さまは、今から二六〇年前、近郷三十五ヶ村百姓の窮状を救うため一揆を起こし、命を捨て、江戸幕府に直訴、遂にとがめられてこの地で打首拷問(さらし首)となる。

時に享保十五年旧暦正月二十一日、行年四十九才。

嗚呼

平成二年六月二十一日

 

120○EN作品では?

第20回公演「思わざらまし六つの花」の主人公。

タイトルは、辞世の句より。

上記概要の歴史を元に、偉人伝として描いた。

関連場所へのアクセス

■姥ヶ梅
住所:福島県福島市山口御成

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