木村吉清
きむらよしきよ
ジャンル:人物・偉人 生きた時代:戦国 関連地域:福島城下 題材公演:命名福島―吉清伝―
概要
江州佐々木の一族の出。荒木村重に仕えるが、信長を荒木が裏切った際、明智光秀の家人となる。丹波平定戦で活躍。光秀が本能寺の変を起こした際、それを諫めたが聞き入れられなかった。のちに秀吉の家人となり、豊臣家中で、上杉家との外交役として活躍。「吉」の字を賜る。
天正18年の秋、小田原合戦後、伊達政宗から元芦名領だった黒川城(会津若松)を受けとる。その後、改易された旧葛西大崎領30万石の大名となるが一揆で失脚。その後、蒲生氏郷に仕える。文禄年中、杉妻大仏城を福島城とあらためる。
木材などの資材運搬や建設に長けており、大阪城、聚楽第、伏見城の建設にも従事したとされる。通称、弥一右衛門。
戦場では、朱烏帽子をかぶっていたとされる。
<末裔である木村家に伝わっている話>
- 平凡な人物だったが、妻の支えで戦国を生き抜いた。木村家には妻を大事にしろという教えが根付いている
- 30万石と伝えられているが、当時は秀吉から5万石として与えられた土地。検地をしてみたところ30万石あっただけだという
- 福島の福は「福音書」からきているという説が伝わる。キリシタン大名で、木村家はそれ以降ずっとキリスト教徒である。また、福島市の「信夫山」の伝説の風吹く島からきているという話も
- 子は大坂冬の陣で豊臣方につき討ち死に。孫は仙台藩に仕え、木村家は現在宮城で続いている
- 「亀」が好きだったとされ、家紋の代わりに使用したりしている
- 葛西大崎一揆の中で歴史に残る通り、大名として治める能力は無かったとされる
- 「清久」、通称の「弥一右衛門」は代々の当主が名乗る名前のため、どこまでが本人の功績で、どこまでが息子の功績かははっきりしていない
- 「吉」の字は秀吉から与えられたもので、現代にいたるまで木村家の人々の名前には必ず入っている
- 佐々木の出というのは吉清が箔をつけるために勝手に名乗っていた可能性もある
登場する文学作品
- 壮心の夢. – 火坂雅志 短編小説内の一作の主人公として
- 蒲生氏郷 – 幸田露伴 葛西大崎一揆が描かれている
120○EN作品では?
第18回公演「命名福島-吉清伝-」の主人公。
葛西大崎一揆で妻を失い、失意のまま福島城に赴任。
はじめのうちは覇気の無い殿様として描かれる彼が、「福島」の名付け親となるまでを描く。
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